どうも、一人目の子どもを求め続けて6年目のうにです。
今日はタイトル通り、一人目不妊と二人目不妊の関係について考えてみようと思います。
この記事を書く理由
今後妊娠できたり治療を諦めた場合、私は「一人目不妊治療中」の立場じゃなくなります。
思い出しながら書くこともできるとは思いますが、やっぱり感じていたこと、考えていたことのすべては覚えていないと思うし、考えが変わるところもあると思います。
今リアルタイムで当事者だからこそ書ける記事があって、それは将来自分で見返した時に大きな財産になると思っています。
また同じような状況や考え方の人が必要としてくれることもあると思っています。
なので、できるだけ今の本音を残します。
一人目不妊と二人目不妊の関係
わかりあえてない一人目不妊と二人目不妊の様子をSNSなどでたまに見かけます。
一人目不妊は「一人いるからいいじゃない!贅沢!私の辛さをわかってない!」
二人目不妊は「同じ不妊なのに敵視される!一人目不妊は心が狭い!私の辛さをわかってない!」的なね。
さて、一生懸命に婚活をしているけれどなかなか成果が出ない人がいるとします。
子なし、子育て経験なしという点では一人目不妊の私と同じです。
でも私はその人が今すごく欲しくてそのために必死に努力している結婚生活というものを手に入れています。
私も一応婚活はしていたので、なかなか相手が見つからない焦りや自分は誰にも必要とされていないんじゃないか?と悲しくなる気持ちは経験しました。
でも今の私にとって婚活は「しんどかったしもう二度としたくないけど、夫に会うために必要だった手順で、なんならいまではいい思い出、やってよかった」ものです。
経験はしたけど、その当時と全く同じように婚活に悩む人に共感できるかといえば自信はないです。
今の私は当時すごく不安に思っていた「誰にも愛されなかったらどうしよう」「一生一人だったらどうしよう」という絶望は解決してしまっているからです。(まぁ将来どうなるかはわかりませんが)
婚活中の人に一人目不妊の辛さを話して、一部わかってもらえるところはあるでしょうがすべては無理でしょう。
「旦那さんがいるからいいじゃない」「そこまでして欲しいもの?」って思う人もいると思います。
贅沢だって思う人もいると思います。
夫がいて幸せです。でもそれとは違うじゃないですか。
夫がいて幸せなことと子どもがいなくて辛いことはまた別の話じゃないですか。
……ということと似ていると思うんですね。一人目不妊と二人目不妊の関係って。
共通点は不妊症です。違いは子どもの有無です。
二人目不妊の人は一人目不妊の人がすごく欲しくてそのために必死に努力している子どもをすでに手に入れています。
二人目不妊の人には「一生子どもがいなかったらどうしよう」という絶望はもうないでしょう。
二人目不妊の人の辛さは、体験談を読んだりメッセージをいただいたりして想像はしています。
一人目不妊はある程度年月が経つと察して聞かれなくなっていきますが、もしかしたら二人目不妊の人は一人産めたから産めるでしょと、二人目をせかされることが多いのかもしれません。
「一人っ子は可哀想」なんて言われると、子どものことを考えて悲しい気持ちになるんでしょう。
子どもから「弟か妹がほしい」なんて言われたらかなり辛いんでしょう。
ただでさえ不妊治療は大変なのに、仕事も子育ても家のこともしながらの不妊治療なんてめちゃくちゃ大変だと思います。
子育てにはお金がかかると思うので、それに加えて不妊治療費の捻出まで。
一人いるから幸せだけど、二人目がいなくて辛い気持ちはまた別の話なんでしょう。
ここまで想像してみてもやっぱり、いいなぁ子どもがいてと思ってしまいます。
もし私が子どもを授かり、二人目の治療をすることになったら、そういうことだったんだなとわかることがたくさんあるでしょう。でも今はあまりわかりません。
治療について情報交換はできるでしょうが、精神的な悩みを共感することは一人目不妊と二人目不妊では難しいことが多いように感じます。
なのでお互いに「わかってもらえない」ってなるのはある程度仕方ないかなぁと思います。
(一応もう一回言っておきますが、これは全部私の考えです。一人目不妊を代表してるわけでもなんでもありません。「私はそんなこと思わない」という方もたくさんいると思います。)
(そして二人目不妊の人と話したくないとは言ってません。感じ方は違うだろうなぁと思っているだけです。)
(バトろうとも対立しようともしてません。)
話は少しそれますが、はじめの婚活の話と同じように、一人目不妊治療に成功した人はもう本当の意味で一人目不妊治療中の人の気持ちはわからないと思っています。
その方たちにとって治療は「子どもに会うために必要だった過程」になってるはずだからです。
そろそろ治療を諦めるという記事をあげたとき、治療が成功してお子さんがいらっしゃる方から「諦めるなんて甘いこと言うな。」的なメッセージをもらったことがありました。
そりゃその方にとっては治療は「諦めなかったおかげで成功したもの」ですもんね。諦める人の気が知れないのでしょう。
まぁこの話はかなり極端な例ですが、治療が成功体験になっている人といない人では治療への考え方の違いは大きいだろうと思った出来事でした。
不妊治療終了後も不妊治療に関する活動や発信を続けている人に治療が成功している人が多いのもこういうことかなぁと考えています。
治療を諦めたけど活動は続けている人ってほんと少ないんですよね。
辛さ度合で競い合うのは不毛、人には人の地獄がある
人間の想像力には限界があります。
なのでその立場にならないとわからないことってたくさんたくさんあると思います。
例え経験したことだとしても、今その立場にいないとわからない(忘れる、薄まってしまう)こともあります。
いつまでもその時の辛い気持ちを忘れられないまま生きていくのはしんどいでしょうし、忘れる(薄れる)のは悪い事ではないと思います。
その時々で悩みは変化していくものですし、一つ願いが叶えばまた次の願いが出てくることも当たり前。
よく言うやつです。『人には人の地獄がある』
地獄の比べ合いをしてもなんにもなりません。
その地獄にいる人にとってはそこが一番しんどいはずだから。
結局のところ各々が自力で地獄から這いずりだすしかないです。(蜘蛛の糸は脆く、いつか切れる。)
で、やっと出れたと思ったらまた次の地獄に入っていくわけですね。
その繰り返しなんでしょうね人生って。つら。
メンタルマッチョになってなるべく深いところまで落ちないように日々メンタル筋トレに励みましょう。
終わりのつぶやき
上でいろいろ言ったけど言うて全部私の理想です。自分に言い聞かせてるだけです。
誰かと比べて自分の悩みよりどうのこうの言うのはほんとに不毛。こんなことほとんどの人がわかってると思う。
わかってるけどどうしても目に入ると比べてしまう。少なくとも私はすぐ比べてしまう。
まぁでもいいなぁと思うくらいは全然許容範囲じゃないかとも思う。
私の悩みのほうが深刻!!私のほうが辛い!!私の方が可哀想!!あんたの悩みは贅沢!!だから私の悩みをすべて理解して受け入れて最大限配慮しなさいよーっ!!てなるのがやばいだけで。
それに、勝手に人に期待してもしんどいだけで終わることがほとんどだし。
「私めっちゃ辛いしなんならあなたのこといいなぁと思うしその悩みの辛さは全然わかんないけど、私がわからないだけであなたはしんどいんだよね」程度でいい気がする。
わからないのに変にわかったふりするよりこれくらいでいいんじゃないかと。
そしてこれくらいならできる気がする。
アベマプライムが好きでよく見ているのですが、この回の安部敏樹さんがおっしゃった「人の痛みを勝手に見積もるな」「自分の痛みなんて誰にもわからないじゃないですか、正直。他人もそう。」って言葉がほんとそれだよなぁと心に残りました。
人には人の地獄がある。
人に自分の地獄を理解してもらったうえに配慮までしてもらうことはかなり難しい。
だからわかってくれた人・わかろうとしてくれる人には心から感謝して、わからない人にはそれが普通だよね~程度に思っておくのがよいと思う。
ところでたまに「私は人と比べることなんかしたことありません。」的なこと書いてる人見かけることがあるけどあれ本当なんかな。
私がなかなかできないからできる人がいることを信じられないだけなのか。
その人もその域に達するまでいろいろあったのか。
私もはやくその人達のように悟りたいもんです。この目標がすでに人と比べとる。
おわり
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
うに🐰
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