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体外受精・顕微授精⑩
当時の思い出
もともとお酒は良く飲む方だったのですが、この頃はさらに飲んでました。
もう限界だと感じても、無理矢理飲んでいました。
そして、しょっちゅう記憶を無くし、吐いてました。
完全にお酒に逃げていました。
描いてないですが、辞めてた煙草も少し吸ってしまいました。
多分これも一種の自傷だったんだと思います。
辛かったですね。この頃が不妊治療をしてきた中で、一番辛かったです。
当時31~32歳。インスタには毎日友人知人の赤ちゃんの成長記録や妊娠経過の記録が投稿されていました。
「この子がいない人生なんて考えられない」的な言葉に、いない自分の人生と比べ勝手に傷付きました。
友人の子が描いた「ママだいすき」の似顔絵つきお手紙に、「私にはそんなこと言ってくれる子はいない」と胸をえぐられました。
子どものいない友人たちは旅行に行ったり、自分磨きをしたり、仕事を頑張ったりしていました。
充実した毎日を過ごして、とても有意義で楽しそうに見えました。
自分以外の全ての人がキラキラ輝いて見えました。
それに比べて自分は、なんの効果も得られていない不妊治療にお金と時間をかけて痛い思いをして、集中できなかったり通院のため急に休んだりと職場に迷惑をかけ、なにをしているんだろうと。
自分だけが取り残されているような、無意味に生きているような。生きる価値・資格が自分にはないと考える毎日でした。
じゃあ私も仕事や自分磨き頑張ればいいじゃんって、そんな気力はもうありませんでした。
(⚠️当時の私の気持ちです。不妊治療者は生きる価値がないなんてことは一切言ってません。自分語りしかしてません。)
今思えば、本当に比べすぎなんですよね。
それは気付いていました。
でも「比べないように、比べないように」と思ってもできませんでした。
私の気持ちはこの時期から約1年後、このブログをはじめたことで徐々に落ち着いていきました。
私には、自分にとって不妊治療とは何か、子どもとはなにか、人生とは何かをとことん考える・整理することが良かったようです。
この記事にも書いてるので、気になる方は読んでみてください。
こういう経験があるので、カウンセリングを激推ししています。
最後の移植の前に一度受けたのですが、アドバイスをもらうというより、うまく誘導してもらいながら自分の気持ちを整理するという感じでした。
結局どんないいアドバイスよりも、自分で気付くことが一番効く気がします。
そのお手伝いをしてもらえました。
ちなみにFineさんのピアカウンセリングを受けました。電話で受けられたので気軽でした。
話が少しそれましたが、限界を迎えかけた私は、夫に「しにたい」とついこぼしてしまいました。
夫は「え~ほんなら俺もしぬわ~」と軽く返しました。
この話を先日夫にしてたところ、夫は「そんなことあった?」と忘れていました。笑
夫にとってはただの酔っ払いの戯言だったのかもしれません。
でも、私はすごく嬉しかったし、この言葉を今も大事にしています。
あとがき長くなっちゃった。思い出したらキリがないです。
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