【不妊治療お悩み相談】体外受精で一番つらかった時期と、その立ち直り方

あなたの話を聞かせて

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こんにちは!

5年半の不妊治療体験を漫画やブログにしている、小森うにと言います。
不妊ピアカウンセラーを目指して、現在勉強中です。

今回は、Instagramのフォロワーさんからいただいたご相談に回答します。

 

フォロワーさんからのメッセージ

結婚5年目、昨年夏から体外受精を始めましたが、子宮内膜症で足止め多数…。
初移植で流産、2回目の移植は化学流産、2度目の採卵後激痛で搬送入院、やっと迎えた3度目はなぜかストレス三昧の体調優れずで、排卵チェックで排卵済みでスキップ。

ここでこれまでの感情が全て爆発して号泣。
ここまで追い詰められていたのかと思い知りました。

体外受精、一番しんどかった時はいつでしたか?どうやって立ち直りましたか?

 

私からのお返事

こんにちは。

昨年の夏から今まで、1年半の間で、本当に大変な経験をされたんですね。
子宮内膜症、流産、化学流産、入院…
それらを乗り越えたあと、排卵済みで採卵がスキップに…。

「やっと迎えた3度目」の「やっと」に深い思いを感じました。

これまでずっと気を張り詰めて、ぐっとこらえてがんばってこられたのではないかなと想像します。
それが、採卵スキップをきっかけに爆発したんですね。

必死に頑張っているとき、自分が追い詰められていることに気付かないことってありますよね。
なにかのきっかけにふと自分が限界だったんだって気付くこと、私もありました。

 

このメッセージをいただいてから、少し時間が経ちましたが、今は体調やお気持ちはいかがですか?
少しでもゆっくりできていたらいいなと願っています。

 

体外・顕微で一番つらかった時

ここからは、ご質問の
「体外受精で一番しんどかった時はいつでしたか?どうやって立ち直りましたか?」
について、私の経験をお話させていただきます。

 

私が体外で一番しんどかった時は、治療2年目。
それまで受精卵0が続いていた中、採卵5回目ではじめてできた今までで一番グレードの良い桑実胚(それまでは初期胚までしか育たなかったので)を移植して、陰性になったときでした。

漫画で言うとこのあたりのお話です。(結構重たいので、お気持ちに余裕がある時に読んでくださいませ)

採卵5回して、やっとできた桑実胚でもだめなのかと、絶望しました。
しぬことも考えました。

そして、そんな気持ちから逃げるために、しょっちゅう記憶をなくすほど飲酒をして泥酔しては吐いてました。
でも、お酒で気持ちが休まることはなく、むしろよりどん底に落ちていってました。
それでも、酔ってまともに考えられなくなるほうがまだマシで、酔う為にひたすら飲んでました。
酷い生活をしていました。

すると、ストレスのせいか、アルコールのせいか、多分どちらもだと思うのですが、仕事ができなくなってきました。
ぼんやりすることが多くなり、仕事に必要なことが覚えられず、明らかにおかしいような判断ミスも増えました。

そのせいで、もともとパワハラ気質な上司の言動が酷くなり、ますますストレスがかかりおかしくなっていく……でも治療のために仕事は辞められない…という負のループに入っていました。

 

転機となった旅行

あまりに様子のおかしい私に、夫は北海道旅行を提案してくれました。
おもいきって4連休取り、私たちは旅行に行きました。

そこで、夫と子どもについて語りあいました。
夫が子どもについて、治療についてどう思っているのか、はじめてゆっくり聞けました。

この聞けたというのは、夫がはじめて語ってくれたということではありません。
それまでも夫は聞けば話してくれていました。

夫は結婚当時から一貫して「子どもはどちらでもいい。うにさんと楽しく過ごせればそれでいい。だからうにさんが必要だと思うなら治療する。」と言っていました。

北海道旅行で気持ちが少し解けたのか、はじめて私は素直にその言葉をそのまま受け入れることができました。

 

旅行に行ってからは、少しだけ気持ちが沈む頻度と重さが減りました。

とはいっても、そんなすぐに劇的に改善したわけではなく、ふとまたしにたいとなるときも多々ありました。
でも、旅行を経験して、「休憩ってめっちゃ大事やな」「無理しすぎてたのかも」という気付きがあり、これが良かったように思います。

私は半年ほど治療を辞めてみることにしました。
ずっと無理して走り続けてきた治療期間の中で、はじめて休憩を取ることにしたんです。

 

そして、半年後、また治療に戻りました。
今度は、授からない未来の可能性が大いにありうると考え、諦めることを意識した治療にしていこうと思っていました。

 

治療再開から数か月後、引き続き上司からの強い言動は続いており、治療も合わさってストレスが増加していたので、仕事を辞めることにしました。
きっと以前の私ならできなかった選択だと思います。
一度不妊治療を休憩したことで、休憩も必要だと体感したんだと思います。

 

そのあとは、家中大掃除し、断捨離し、ブログをはじめ…としていく中で、浮き沈みはありましたが、だんだんと「私は子どもがいなくても大丈夫だ」と深く腹落ちするようになるにつれ、気持ちが落ち込むことは減っていきました。

退職後の気持ちの動きは、この記事に詳しく書きましたので読んでいただけたらと思います。
私が「自分らしい幸せの形」を信じられるようになるまで、の話です。

 

自分語りがとても長くなってしまいました…。
以上が私の、体外で一番つらかった時と、その立ち直り方でした。

私に必要だったのは、気持ちの整理だったんだと思います。
それは、ゆっくりと、少しずつ進んでいく道のりでした。

 

最後に

質問者さんのお気持ちに、すぐに効く答えを持ち合わせていないことが歯がゆく感じます。

苦しみや辛い気持ちが深ければ深いほど、それが楽になるまでにはきっと時間がかかります。
終わったと思っても、ふいにまた顔を出すこともあると思います。
(私も、流産の悲しみがふいに現れて、いまだに涙が出ることがあります。)

でも、そんな時期があったことも、今の私の大切な一部です。
いろんな経験があったこその今だなと、日々感じています。

 

…と言ったところで、ピアカウンセラー(見習い)ではなく、発信者としての私の思いを少し話させてください。

私は今、あの頃の激しい苦しみからは確かに離れています。
だからこそ、「いろんな経験があったこその今だ」と言えるんだと思います。

治療中の方に、「長年治療したとはいえ、子どもがいるんだから、治療中の人の気持ちなんてわからない」と言われたことがあります。
確かに私にとって不妊治療の苦しみは、もう過去のことです。これはもう事実で、どうしようもありません。

でも、だからこそできることもあるのではないか、と考えています。

それは、あの日々を少し距離を置いて見られる今だからこそ、当時の気持ちの動きを丁寧に言葉にして、一つの経験として共有させていただくこと。

この体験談が、質問者さんや皆さんの考えるきっかけの一つになれば、それは私にできる小さな役割なのかもしれないと思うようになりました。

 

最後になりましたが、私は、質問者さんがご自分が追い詰められていたことに気付かれたこと、つまり、自分の心の声を聞くことができたということに深く感じるものがありました。

お気持ちを共有してくださりありがとうございました。
ぼちぼちとご自分のペースで進んでいってくださいね。

 

 

今回は、「体外受精で一番つらかった時期と、その立ち直り方は?」というご質問に、経験者の視点からお話しさせていただきました。
なにかご参考になれば幸いです。

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