子どもが出来たピアカウンセラー

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この記事は、不妊治療を経て子どもを授かった後の心境を記録したものです。治療中の方には、お気持ちの準備ができているときにお読みいただければと思います。

私は今、不妊ピアカウンセラーを目指すにあたって、カウンセリングを受けています。
理由は二つあります。
自分をわかっていないと人のことはわからない、と思いもっと自己理解を深めるため。
カウンセリングを受ける側の気持ちを知るため。

私は過去に、スクールカウンセラーと、不妊ピアカウンセリングを1回受けたことがあります。
どれも単発でした。
今の先生には継続でお世話になってますが、やっぱ継続と単発は違うなぁと実感中…。
自分の課題がぽろぽろ見つかってきます。

今回のキーワードは「距離感」でした。
精神的距離感、物理的距離感。

先日、こんなメッセージをもらいました。

「いくら不妊治療を経験してたとはいえ、子どものいる人に治療中の私の気持ちなんてわからない」

このメッセージに、自分でもびっくりするほど、ダメージを受けました。

このメッセージに書かれていることは、正直、そう思う方もいるだろうと、想定内でした。
なぜなら、私が治療中そう思っていたから。
昔、そんなことを書いたこともあります。
「不妊治療を経て子どもを授かった人はきっと、不妊治療が成功体験になるんだろう」と。

なのになんで、ダメージを受けたのか。
自分の奥底に、くすぶっていたことを、ダイレクトに刺激されたからだと思います。

私は、5年半の治療で、最後の1年半くらいは、諦めるための治療にシフトしていました。
採卵9回、移植9個。そもそも卵の数が採れないし、胚盤胞にもならない。
検査してみたら、不育症の可能性が高い。
きっと子どもを授かることはもうないだろう。そう思っての決断でした。

将来、あの時こうすればよかったと思わないように、たくさん考えて、最後の移植に挑みました。
陰性が出たら、子どもがいなくても人生は楽しいよ、幸せは子どもの有無に関係ないよ、と発信していこう。
子どもができなかったら、自分はどうなるんだろうと不安に思う人に、大丈夫だよって見せていこう。
それが、私の治療を辞めよう、辞めても大丈夫と思った一番の理由だったかもしれません。
そして、実際私は子どものいない幸せな人生の計画をたてていました。
夫婦二人でのお金の使い方の計画や、治療が終わったらやりたいこと。たくさん準備しました。

そして、最後の移植の結果は陽性でした。
正直、多分、流産するだろうと思っていました。
そんなこと思っていたことは、今初めて言いました。
思わないようにしないといけないとも、思っていました。
でも、無事に出産しました。

私は、出産に関して、4度目の方向修正を必要とされました。
1度目は、避妊をやめたら普通に子どもができて、1人目は30歳までに産んで、2人目は35歳までに産む。
2度目は、1人目を35歳までに産む。
3度目は、子どものいない人生を歩む。
そして4度目、子どもを授かった人生を歩む。

誤解されたくないのは、私は本当に子どもがかわいいです。
幸せ=子ども、ではないけど、幸せの中に子どもは大きく含まれています。

でも、どこかで、私の子供のいない人生の計画が変わったことに、心がまだついていってないのかもしれないと、そのメッセージを見て予想外に傷付いて、考えた結果思いました。

そして、私はもしかしたら、子どもを持ててしまったことに、罪悪感に似たものも感じているのかもしれないとも思いました。
子どもができないことに悩む人たちに寄り添うことは、子どもがいてはできないと思っているのかもしれない。
だって、子どもを持てた人には、自分には一生子どもができないかもしれないという不安がない。
子どもを持てた人は、どれだけその過程がしんどかろうと、最終的に子どもがいるのだからハッピーエンド。
これは、私が治療中の辛い時に考えていたことです。
治療の終わりの方では、子どもがいるから幸せなのではなく、幸せの一要素として子どもがある。自分の幸せは自分が決めると腹落ちし、治療終結へ向かうことができました。
その流れがあるから、幸せ=子どもとは、いまも考えていないです。
でも、今は私は子どもがいる。もう子どものいない人生にはなれない。
子どもがいなかった人生の私は、どう考える?どう感じた?…わかりません。
(幸せに楽しく生きている自信はあるのですが、どうしても想像の域を超えません。当たり前ですが…)

罪悪感を持つ必要はないことは、頭ではわかっている。
だって、みんななんで治療しているといえば、子どもを持つために治療している。
諦めるためとはいえ、子どもを授かる治療をしていたのだから、授かってもおかしくはない状態だった。
わかってはいるんだけど。

もしかしたら、自分にはもう寄り添えないのかもしれない。
でも寄り添いたかった。本当は、過去の自分と同じようなあの地獄の苦しみの中にいる人たちに、寄り添いたかった。
でも、私にはもうできないのかもしれない。

そういう不安が、根底にあったことに気付きました。

だからといって、ピアカウンセラーを諦める気はないので、今の私にできるサポートをしていくし、サポートできる範囲を広げる努力をするしかない。
と冷静に思ってもいるのですが。

ということを、カウンセラーさんに話してきました。

「私にはもう寄り添えないのかもしれない」

と言ったとき、涙がボロボロ出てきて(ていうかこれ打ってる今も泣いてる)、あーやっぱ私がもやもやしてたのはここだったのかと、腑に落ちました。

さて、どんな返事が来るかな。
「今のあなたにできることをしていこう」
「治療を経て出産したからこそできることがある」
的な感じかな。

先生は言いました。
「距離感の取り方を考えないと」

精神的な距離感と、物理的な距離感。

まず、物理的な距離感の取り方から。
自分にとってキツイことが書いてあるなら、スマホや紙を離して見る。ドアップで見ない。
電話なら、受話器からちょっと離れてみる。スピーカフォンにしてスマホを離して聞く。
対面なら、距離を開ける。

物理的な距離でわりと冷静になれるので、まずはそれをしてみる。

そして、心の距離感。

傷付いた理由として、
①自分ができないのかもしれないと思ったこと
②その人に感情移入しすぎた可能性
③シンプルに自分に向けられた悪意(というほどのもんでもないけど)

①は、またちょっと別問題として、②③は距離の取り方で変わると。

確かに私は②③に弱い。
すぐにフル移入するし、悪意にはもっぱら弱い。
もう怖くて怖くて、タイムラインもあまり見てない。
通知がついてたらドキドキしながら開いてる。
比較的、穏やかな投稿が多くて、優しい反応が多く拡散されづらいインスタばかり利用している。

やっぱり、カウンセラーとしてダメダメやん…。
向いてないのかなぁ。てちょっとへこむ。

先生は、
寄り添いたいという気持ちは良いものだけど、初対面ハグのような勢いはいけない。
まずは相手を知ること。
そのためには、距離を取って冷静に見ること。
相手を知れば、なんでそのような考えや行動になるかわかる。

そのような発言に至る人が、どんな状態でどんな悩みを持っているのか、日々のことをダイレクトに知れるなんてカウンセラーとして最強。

今の小森さんは、傷付くことを恐れすぎている。
否定されたくない、批判されたくない、嫌な思いをしたくない。
でも、楽しくてほわっとした経験だけから得られるものって、薄いよ。
苦しいこと、辛いことから得られた考えは大きい。
特に人の傷付きを扱うカウンセラーは。
でも、それもただ経験するだけじゃだめ。そこからどう学ぶか、どれだけ学べるかも大切。

小森さんに必要なのは、経験。
そして、色々試して、学ぶこと。

そう言われて、確かに、今までの人生で、悩んだり苦しんだりしたことはあったけど、多分不妊治療がはじめて、自力というか、自分の気持ちの変化で乗り越えたものだったんだと思った。
物を得たり、資格を取ったり、時間が過ぎるとか、そういうことではなくて、はじめて本気で自分の人生とはなにか、幸せとはなにかを考えて、納得して最後の移植に挑めた。
だから不妊治療は私にとって大切な経験になったし、学んだことが多かったのかなと思った。

これは私個人の経験で、全ての人がこのような意味を見出すわけではないし、見出す必要もないと思います。治療後も深い傷を抱える方、まだ意味を見出せない方、そもそも意味など見出したくない方…それぞれの感じ方があって当然だと思います。

でも私は、先生の言葉を聞いて、傷付かない人生じゃなくて、傷付いても栄養として吸収して、すぐに復活できるような人になりたいと思った。
全てのことに意味がある、なかったとしても、なんなら意味づける。そこから学ぶ。勿体ない精神。
その方がきっと、わくわくする人生になるんじゃないかなって。実際になってきてるし。

そして自分がそうなれれば、発信やカウンセリングを通して、誰かに、なにか力を分けられるようになるんじゃないかなとも。そうなりたい。
私の支えがいらない人もいると思うし、うざいって思ってる人もたくさんいるだろうし、お花畑と思っている人もいるかもしれないけど、
そういう人たちがいつか、ヘルプを求めて来てくれたら、最高やなぁなんて思いながら。

「子どものいる私には寄り添うことができないかもしれない」という不安は、私の中で大きな重みを持っています。
だからこそ、まずは「距離感」という観点から、できることを始めてみようと思いました。
自分にも相手にも適切な距離を取れるようになることは、「できないかもしれない」という不安と向き合うための、私なりの第一歩なのかもなと。

ま、まずは資格取得ね。がんばるぞ。

と、ちょっと前向きになりました、という日記でした。

この記事は、決して治療中の方々に何かを伝えようとするものではなく、一人の経験者の率直な記録として書かせていただきました。

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